グラモフォン・フィリップス・ロンドン・デッカなどの最初のCD |
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1982年の8月17日、西ドイツのハノーファー(ハノーバー)のランゲンハーゲンにあるポリグラムの工場で、世界で初めてCDの生産が開始されます。当時のポリグラムはCDとCDプレーヤーを開発したフィリップスの子会社で、クラシックで有名なグラモフォンやロンドン(デッカ)、ロックやポピュラーでもポリドール、RSO、カサブランカなどの有力なレーベルを傘下に持っていました。その豊富なソフトはCDプレーヤーの普及に大きな貢献をしていきます。
最初に生産されたCDはABBA(アバ)のアルバム「The Visitors」でした。このThe
Visitorsをはじめハノーファー工場で生産されたCDは、10月15日から西ドイツで発売され、11月のオランダなど順次ヨーロッパ各国で販売されていきます。
また日本にも輸入され10月20日に日本ポリドールからグラモフォンやロンドンなど、12月16日に日本フォノグラムからフィリップスレーベルのCDが発売されます。価格はポリドールはクラシックが4200円、ポピュラーが3800円。日本フォノグラムはクラシックが4500円と国内盤より高かったものの、特にクラシックの最初期の生産分は、一部を除いてほとんどのタイトルが輸入されていたようです。
1983年3月の時点でCDを発売したレコード会社は、日本のCBSソニー、日本コロムビア、東芝EMI、キャニオン、徳間、アルファ。海外ではポリグラム、RCA、エラート、バージンなどでした。ポリグラムとCBSソニーは親会社の意向もあり、積極的にタイトルを増やしていましたが、その他のレコード会社はまだ様子見という感じでタイトルは少ないものでした。
この3月にアメリカとイギリスでCDプレーヤーとCDが発売されます。ポリグラムはイギリスでの発売にあわせ、ポヒュラーだけでも70タイトル以上(クラシックは不明)をリリースしています。アメリカでのCDの発売は他社より少し遅れ、8月に100タイトルのCDを発売しています。
もちろんアメリカやヨーロッパでもCDへの期待は高かったのですが、まだCDプレーヤーの価格が高かったため普及が進まず、CDの売れ行きも芳しくありませんでした。CDが本格的に売れ始めるのはアメリカもヨーロッパも1985年になってからのことです。
それに対して日本のメーカーはCDプレーヤーの低価格化を進め、1984年に世界初のポータブルプレーヤーSONY D-50によりが一気に進みます。またフィリップスも日本市場が重要と捉えて戦略モデルCD-34を子会社のマランツから発売するなど、プレーヤーの普及率は世界でも断トツでした。
1983年秋ごろから商品管理のためでしょうか、日本フォノグラムは「フィリップス」のCDに「40CD-1」など日本独自の品番を付け始めます。その後グラモフォンなどの国内盤が発売されていきますが、パッケージや解説は日本語となっているものの、ディスク自体は西ドイツ製でした。
現実的には1980年代の前半までは、ポリグラムのハノーファー工場のCDの多くは、日本向けだったといっても過言ではないかもしれません。ちなみにグラモフォンなどが日本製のディスクになるのは1990年ごろからです。
ポリグラムのハノーファーのCD工場は世界最大の生産能力を誇り、1982年には40万枚、1983年には600万枚、1984年に1300万枚のCDを生産。1985年には2500万枚を生産し、ポリグラムは世界最大のCDメーカー(2位はCBS
/ソニー)でした。1986年はさらに増えて委託生産分を含めると世界のCDの供給量の約3分の1を生産していたそうです。 |
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ポリグラムの初期のCD番号は頭の400番台がクラシック、800番台がポピュラーとなっており、末尾の「2」はCDを表しています。真ん中の3ケタが製品番号で、ある程度レーベルごとにまとめて付番されています。ただし理由はわかりませんが欠番もあります。また「400番」では結局2ケタまでしか使わず「410番」から3ケタとなり、以後「411番」へと進んでいきます。 |