1983年2月、SONYはアメリカで初めて発売するCDプレーヤー(CDP-101)の価格を1000ドル(当時は1ドル約240円)、CDソフトの価格を16.98ドルとすることを発表します。
3月2日、日本に遅れること約5ヶ月、CBS(当時はCBS/SONYの親会社)から、アメリカで初めてのCDが発売されます。この時に発売されたのはビリージョエルの「ストレンジャー」、マイケルジャクソンの「スリラー」、TOTOの「TOTOIV」など12タイトルです。これと同時にSONYはアメリカのレコード販売に大きな影響力を持っていたラジオ局に、CDプレーヤーとCDソフトを無償で提供し、CDの販売拡大のプロモーションを始めます。また、一部のレコードショップは、日本やヨーロッパからCDを独自に輸入し販売を行いました。
その後、6月にCBSが12タイトルを追加、テラークが15タイトル、DENONが30タイトルを発売。8月には、ようやくポリグラムが100タイトルのCDを発売します。これらのCDは、まだアメリカにCDの生産工場がなかったため、日本や西ドイツからCDが輸入されたものでした。それでもソフトの種類、供給量ともに不足し、この年のアメリカでのCDプレーヤーの販売台数は3万台にとどまり、CDソフトの販売は80万枚だけでした。
1984年9月になって、SONYの子会社により、ようやくインディアナ州にCD工場が完成します。アメリカで初めて生産されたCDはブルース・スプリングスティーンの「Born
In The USA」でした。それでも供給は不足が解消されたのは翌年になってからでした。1985年には2200万枚のCDが販売され、いよいよアメリカにもCD時代が到来することになります。
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